あおぞら日記

ベルギーの初日。

ベルギーといえば、やっぱりチョコレートです。
僕は普段から朝食には、トーストにチョコレートを塗ったパンを食べています。
ベルギーのホテルにも、チョコレートのパンがあったので、毎朝、それを食べました。
おいしかったですし、朝のチョコレートがないと、いまいち目覚めない感じもあるので助かりました。

ホテルの朝食

ホテルの朝食

この日の視察先は、アマラージ(青少年援助サービス)と、そこが運営しているコロンビエという児童養護施設、パレナージュ支援団体、アタランテゥという一時保護所です。
児童養護施設は自分の職場でもあるので、どんな所なのか、見学が楽しみでした。

ホテルからのブリュッセルの景色。ベルギーは曇りや雨の日がとても多いらしい

ホテルからのブリュッセルの景色。ベルギーは曇りや雨の日がとても多いらしい

見学先の途中、車中から見えたワーテルローの丘

見学先の途中、車中から見えたワーテルローの丘

最初の視察先では、アマラージの事業内容についての講義を受けました。アマラージでは、3つの児童養護施設(それぞれ定員は15名・15名・18名)、1つの一時保護所(定員は7名)、家庭への集中的介入サービス、非行少年支援を行なっています。
児童養護施設と一時保護所は後で詳しく紹介できるので、ここでは家庭への集中的介入サービスと非行少年支援について、もう少し詳しくお伝えします。

家庭への集中的介入サービスというのは、地域で何らかの危機的な場面にある13~18歳の子どもとその家庭に向けて、関係機関が協議し、家庭訪問を中心とした介入を行うというものです。危機的な場面は、虐待であったり、非行であったり、貧困であったりと様々ですが、子どもを家庭から分離するのではなく、家庭にいながらにして、周囲の支援を整えることで改善を目指すというものです。

非行少年支援の対象者は、15歳以上の罪を犯した若者で、裁判官からの判決を受けて、委託があった子どもが対象です。
内容は、子どもの本人の同意の上で、単身で3か月、地元を離れて長期滞在をします。
滞在先は、ベナン、セネガル、モルダビア、ルーマニア、フランスと、国境を越えています。しかも、大変、田舎。
そこへ着いた子どもたちは、地元の村長や村人たちに受け入れてもらいながら、農作業や土木作業、食事作りなどをします。
それまでとは全く違う環境の中で、参加した子どもたちは自分が生きているという感覚や、周囲の人たちに受け入れられる感覚、自分が役に立てるという自信を得て、戻ってくるそうです。また、3か月の間、地元から離れることで、周囲の非行グループとも物理的な距離が取れることで、再犯をする可能性を減らすという面もあるそうです。
日本では、国外はちょっと考えられないですが、心機一転をして、上のような感覚を得られるプログラムが非行少年の更生に役立つことがあるというのは、実感として湧きました。非行少年でなくとも、何らかの価値観の転換はなされそうです。

続いて、コロンビエです。児童養護施設は、あおぞらと同じ種類の施設なので、見学が楽しみでした。
写真にも載せますが、コロンビエの建物や現場の雰囲気とあおぞらのそれとが、よく似ていました。
なんとなく、いつも働いているような雰囲気があるので、年度末の異動でこちらに配属になっても何とかやれちゃうんじゃないかと錯覚したほどでした。

コロンビエの入り口

コロンビエの入り口

キッチンからは、中庭が臨め、外で子どもたちが遊んでいる様子が見られます。子どもたちを見守りやすいように、死角を減らす設計がなされています。(あおぞらもされてます)

コロンビエのキッチン

コロンビエのキッチン

中庭には、ネコが来てる

中庭には、ネコが来てる

子ども部屋は、1人もしくは2人部屋。適度に片づけがされていながら、生活している感じが素敵でした。

子どもの部屋

子どもの部屋

自転車置き場と倉庫 このごちゃっと感もあおぞらにあります

自転車置き場と倉庫
このごちゃっと感もあおぞらにあります

子どもたちが過ごすリビングにもいろんなものが置かれていました。

色鉛筆いっぱい。これ、あおぞらの幼児部屋みたい

色鉛筆いっぱい。これ、あおぞらの幼児部屋みたい

リビングにあった気になる絵 こういうのも、あおぞらに時々あります

リビングにあった気になる絵 こういうのも、あおぞらに時々あります

不思議なサイコロ

不思議なサイコロ

そして、職員室、施設長さんの部屋。写真では見づらいのですが、たくさんの書類、手紙、付箋のメモがペタペタペタ。職員さんたちの忙しさというのも、垣間見えて、そこもあおぞらと似てました。

施設長さんの机

施設長さんの机

子どもたちには会えませんでしたが、今回は施設内を見学をさせてもらい、自分が今働いている場所と、それほど大きく変わらないことにほっとしました。こういう場所で子どもたちを育てようという営みが、日本を離れてベルギーでも同じように行われていて、そこに携わる職員さんたちがいると知れたことは、これからの僕を温めてくれるような力になると思います。

講義の風景

講義の風景

集合写真

集合写真

午後からはパレナージュ支援団体へ。
パレナージュというのは、名付け親という意味だそう。キリスト教では名づけ親を、父親・母親以外の第3の親として意識しながら、暮らしているそうです。
社会的養護の子どもと、パレナージュ家族を希望する支援者とをつなぐ役割をしている団体が今回の視察先です。
今回の講義では、実際にパレナージュ家族として子どもを迎え入れておられる方から、直接、お話を伺うことができました。
子どもが3歳の頃から、11年に渡り、継続して関わっておられるそうで、現在は毎週末、施設に迎えに行き、自分の家族に迎え入れておられるとのこと。
ご自身の子どもと、迎え入れている子どもとの間の軋轢、成長に従い難しくなってくる関わり方など、生の声を聴くことができました。それでも、これまで通りの関わりを続け、その子どもが成人してからもずっとパレナージュとして 関わり続けたい、もはや自分の子どもの一人という認識をしているとおっしゃられていたのが、印象的でした。
実親との関係を保ちながら、第2の家族を持てるということは、社会的養護の場にいる子どもたちにとって資源となることだと思います。日本の週末里親に似た関わりではありますが、パレナージュという文化的な基盤に基づいていることで、それとは違う趣を与えていました。

パレナージュ家族をされている方

パレナージュ家族をされている方

次は、アタランテゥという、アマラージの運営している一時保護所の見学へ。

こちらの一時保護所は、緊急性の高い子どもたちが、一定期間入所をする施設です。僕らが見学した際には、3名の子どもたちがいました。一人の子どもは、ケアワーカーさんとキッチンで夕食の準備をしていました。あとの2人は、ソファで寛いで過ごしていました。高校生くらいの男の子に、日本から持ってきたマンガ(ドラゴンボール)を渡すと、「おぉ」と喜んでくれました。
ベルギーで日本で人気なものというと、マンガ・アニメ・ポケモン・マリオ・キティちゃん・電化製品だそうです。
一時保護所は場所は公にしていないそうですが、行った場所は割と町中にあります。中庭などもあり、普通の家と変わりません。ただ、外出は基本的にはできず、訪問者も限られるそうです。日本との違いを感じたのは、上述の家庭的な雰囲気と、学校(元いた学校、あるいは施設の近くの学校)に通える点です。

アタランテゥのリビング

アタランテゥのリビング

子どもの部屋 ヒトカゲが置かれてました

子どもの部屋 ヒトカゲが置かれてました

リビングの棚にあった本 性教育のためのもの

リビングの棚にあった本 性教育のためのもの

IMG_2832

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リビングにあったマンガ どこの国のかな?

リビングにあったマンガ どこの国のかな?

この日の夜は、世界遺産のグランプラスへ。夜間はライトアップされていて、とてもきれいでした。
僕の高校の同級生が、偶然にもベルギーの方と結婚をして、ブリュッセルで暮らしているので、合流して街を案内してもらいました。
ベルギーのことも全く分からない中で、国の様子や子育てのこと(制度や考え方や諸々)を事前に教えてもらえて、とってもありがたかったです。旦那様は、日本で働いておられたこともあり、とても親日家。日本の文化も好きだと聞いていたので、だんじりのはっぴを持っていきました。
気に入ってくれて、この日の夜ははっぴを羽織って、グランプラス移動。おかげでなかなかレアな写真も撮れました。

グランプラス(夜)

グランプラス(夜)

チョコレート屋さん

チョコレート屋さん

ベルギーで流行っている服のブランド ロゴが漢字で「極度乾燥」

ベルギーで流行っている服のブランド ロゴが漢字で「極度乾燥」

澤町のはっぴとベルギーの街並み

澤町のはっぴとベルギーの街並み

この日は、ポーランドからベルギーへの移動日でした。

午前中は、自由行動の時間だったため、ワルシャワのホテルの近くを散策しました。
ここまでの研修中も、講義に入ると座学が多いため、早朝に他の団員さんとホテルの近くをジョギングしたりしていて、なんとなくホテルの近所の地理はつかめてきました。

日曜日に当たっていたので、近くの大きなスーパーで、家族や知り合いへのお土産を買おうと考えていたのですが、日曜日はスーパーもお店も完全閉店。辛うじて開いていたのは、コンビニと飲食店、お土産物屋さんくらいでした。キリスト教の休日は、僕が想像していたよりもかなり本気に休みます。日本だと、日曜日なんかは、デパートやショッピングモールのかき入れ時と思うのですが、「そういう事より、日曜日は休む方が当然大事」という感じは、さっぱりしていて気持ちよかったです。

ショッピングモール

ショッピングモール

ホテルの近くには、立派な建物(中は映画館などの文化施設になっています ワルシャワ国際映画祭とかで画面に映る場所でもあるような気がします)があり、その中へ行ってみました。
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イラストはかわいい

イラストはかわいい

遠くから見ると立派な一方、いろんな場所に落書きが目立ちます。
自由な表現の一部なのだという見方もできますが、ワルシャワのきれいな街並みと落書きの併存は、気持ちを落ち着かなくさせるところもありました。しかし、こういう側面もポーランドのありようを示しているのだろうと思います。何て書いてあるのか、分からないのが残念です。

立派な建物なのに、落書きいっぱい。

立派な建物なのに、落書きいっぱい。

この日、中にはアート作品の展示会が開催されていました。よく見てみるとそれらの作品の材料は、がらくた。自転車のチェーンやドラム缶の一部や、機械の歯車などを組み合わされて、精巧に作られています。ワルシャワ市内の他の場所でも、プラスチックのストロー(これもおそらく新品ではなく廃ストロー)を大量に使った作品も見ていたので、地球環境や資源の保護を作品の中に込めたものだと思います。環境保護の意識の高さも、いろんなところで感じました。

廃材でできた作品

廃材でできた作品

廃材でできた作品②

廃材でできた作品②

例えば、街のハンバーガーショップでも、出てくるコーラはビンのまま。紙コップやプラスチックのストロー、コップの蓋なんて、考えられないという感じです。でも、おいしい。

ポーランドの最後の食事 ハンバーガー

ポーランドの最後の食事 ハンバーガー

ポーランドからベルギー ブリュッセルまでは、3時間ほど。ドイツを飛び越えて行きます。

次の国、ベルギーへ

次の国、ベルギーへ

真っ黄色の飛行機

真っ黄色の飛行機

次からは、ベルギー編です。

この日は、首都ワルシャワを離れ、電車に乗ってクラクフへ。

ワルシャワ駅

ワルシャワ駅

電車の外の風景

電車の外の風景

世界の車窓から、みたい

世界の車窓から、みたい

そこからバスに乗り換え、アウシュビッツ強制収容所へ行きました。
アウシュビッツ強制収容所は、現在では博物館となっていて、第2次世界大戦の悲惨さを伝え、後世に二度と繰り返されることがないようにというメッセージを伝えています。

アウシュビッツ

アウシュビッツ

僕は、最初、興味深い施設だと思うのと同時に、アウシュビッツという暗い響きに恐れも感じていました。
また、僕らの視察の目的である、子どもの福祉と関連の薄い場所のように思いました。
しかし、ユダヤ人やナチスへ反乱するとされた人々と共に、その子どもたちも連れて来られ、ここで殺害をされたこと、そのような歴史の中で子どもたちの権利を守ろうという運動へと繋がったこと(その中にはコルチャックのような人々の犠牲があり、ポーランドから国連に提案された子どもの権利条約の草案があります)が分かりました。

当時、連れて来られた人たち

当時、連れて来られた人たち

この貨車に詰め込まれるようにして運ばれてきた

この貨車に詰め込まれるようにして運ばれてきた

貨車を降りると、すぐに選別され、働けないと判断されるとガス室へ送られた

貨車を降りると、すぐに選別され、働けないと判断されるとガス室へ送られた

ナチスドイツは、次の世代を担うものとしての子どもを嫌い、排除した

ナチスドイツは、次の世代を担うものとしての子どもを嫌い、排除した

現地のガイドの方の説明を聞きながら、今、自分が立っているこの場所で、これほど残酷なことが行われたことを、肌身にしみて感じました。

犠牲者の義足や義手

犠牲者の義足や義手

犠牲者の靴 山のように置かれていた

犠牲者の靴 山のように置かれていた

労働者の寝床 藁敷きの上に、重なるように寝かせられた

労働者の寝床 藁敷きの上に、重なるように寝かせられた

遺体の焼却炉

遺体の焼却炉

また、その一方で、犠牲者の人たちに無慈悲に対応したのも、同じ人間なのでした。
見学コースの途中、収容者の独房があり、その扉には看守が中をのぞくための小さな穴が付いています。僕はその小さな穴から独房をのぞいた時、まるで自分が看守であるかのような錯覚に襲われました。そして、非常時、この場所で看守の役割を与えられたなら、その役割をこなせてしまうかもしれない自分を認識しました。
収容された人たちに残虐な行為を行っていた、ナチスの兵士と自分自身との間に、それほど大きな差がないことが肌身に感じられ、愕然としました。

収容者のベッド

収容者のベッド

アウシュビッツの土 この土に犠牲者たちがしみ込んでいるように感じた

アウシュビッツの土 この土に犠牲者たちがしみ込んでいるように感じた

アウシュビッツを離れ、クラクフの街の散策へ。
クラクフはポーランドの旧首都で、日本でいうと京都のような位置づけです。
古い建物や町並みが残っていて、観光用の馬車が周遊しています。
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この日の報告、どうしてもアウシュビッツに熱が入ってしまいますが、それだけ強烈な体験であったと共に、一見学者として、「二度と同じようなことを繰り返してはならない」ということを、他の人に伝える役割を果たしたいという気持ちのためです。