あおぞら日記

この日は、首都ワルシャワを離れ、電車に乗ってクラクフへ。

ワルシャワ駅

ワルシャワ駅

電車の外の風景

電車の外の風景

世界の車窓から、みたい

世界の車窓から、みたい

そこからバスに乗り換え、アウシュビッツ強制収容所へ行きました。
アウシュビッツ強制収容所は、現在では博物館となっていて、第2次世界大戦の悲惨さを伝え、後世に二度と繰り返されることがないようにというメッセージを伝えています。

アウシュビッツ

アウシュビッツ

僕は、最初、興味深い施設だと思うのと同時に、アウシュビッツという暗い響きに恐れも感じていました。
また、僕らの視察の目的である、子どもの福祉と関連の薄い場所のように思いました。
しかし、ユダヤ人やナチスへ反乱するとされた人々と共に、その子どもたちも連れて来られ、ここで殺害をされたこと、そのような歴史の中で子どもたちの権利を守ろうという運動へと繋がったこと(その中にはコルチャックのような人々の犠牲があり、ポーランドから国連に提案された子どもの権利条約の草案があります)が分かりました。

当時、連れて来られた人たち

当時、連れて来られた人たち

この貨車に詰め込まれるようにして運ばれてきた

この貨車に詰め込まれるようにして運ばれてきた

貨車を降りると、すぐに選別され、働けないと判断されるとガス室へ送られた

貨車を降りると、すぐに選別され、働けないと判断されるとガス室へ送られた

ナチスドイツは、次の世代を担うものとしての子どもを嫌い、排除した

ナチスドイツは、次の世代を担うものとしての子どもを嫌い、排除した

現地のガイドの方の説明を聞きながら、今、自分が立っているこの場所で、これほど残酷なことが行われたことを、肌身にしみて感じました。

犠牲者の義足や義手

犠牲者の義足や義手

犠牲者の靴 山のように置かれていた

犠牲者の靴 山のように置かれていた

労働者の寝床 藁敷きの上に、重なるように寝かせられた

労働者の寝床 藁敷きの上に、重なるように寝かせられた

遺体の焼却炉

遺体の焼却炉

また、その一方で、犠牲者の人たちに無慈悲に対応したのも、同じ人間なのでした。
見学コースの途中、収容者の独房があり、その扉には看守が中をのぞくための小さな穴が付いています。僕はその小さな穴から独房をのぞいた時、まるで自分が看守であるかのような錯覚に襲われました。そして、非常時、この場所で看守の役割を与えられたなら、その役割をこなせてしまうかもしれない自分を認識しました。
収容された人たちに残虐な行為を行っていた、ナチスの兵士と自分自身との間に、それほど大きな差がないことが肌身に感じられ、愕然としました。

収容者のベッド

収容者のベッド

アウシュビッツの土 この土に犠牲者たちがしみ込んでいるように感じた

アウシュビッツの土 この土に犠牲者たちがしみ込んでいるように感じた

アウシュビッツを離れ、クラクフの街の散策へ。
クラクフはポーランドの旧首都で、日本でいうと京都のような位置づけです。
古い建物や町並みが残っていて、観光用の馬車が周遊しています。
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この日の報告、どうしてもアウシュビッツに熱が入ってしまいますが、それだけ強烈な体験であったと共に、一見学者として、「二度と同じようなことを繰り返してはならない」ということを、他の人に伝える役割を果たしたいという気持ちのためです。