あおぞら日記

この日は、ポーランドからベルギーへの移動日でした。

午前中は、自由行動の時間だったため、ワルシャワのホテルの近くを散策しました。
ここまでの研修中も、講義に入ると座学が多いため、早朝に他の団員さんとホテルの近くをジョギングしたりしていて、なんとなくホテルの近所の地理はつかめてきました。

日曜日に当たっていたので、近くの大きなスーパーで、家族や知り合いへのお土産を買おうと考えていたのですが、日曜日はスーパーもお店も完全閉店。辛うじて開いていたのは、コンビニと飲食店、お土産物屋さんくらいでした。キリスト教の休日は、僕が想像していたよりもかなり本気に休みます。日本だと、日曜日なんかは、デパートやショッピングモールのかき入れ時と思うのですが、「そういう事より、日曜日は休む方が当然大事」という感じは、さっぱりしていて気持ちよかったです。

ショッピングモール

ショッピングモール

ホテルの近くには、立派な建物(中は映画館などの文化施設になっています ワルシャワ国際映画祭とかで画面に映る場所でもあるような気がします)があり、その中へ行ってみました。
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イラストはかわいい

イラストはかわいい

遠くから見ると立派な一方、いろんな場所に落書きが目立ちます。
自由な表現の一部なのだという見方もできますが、ワルシャワのきれいな街並みと落書きの併存は、気持ちを落ち着かなくさせるところもありました。しかし、こういう側面もポーランドのありようを示しているのだろうと思います。何て書いてあるのか、分からないのが残念です。

立派な建物なのに、落書きいっぱい。

立派な建物なのに、落書きいっぱい。

この日、中にはアート作品の展示会が開催されていました。よく見てみるとそれらの作品の材料は、がらくた。自転車のチェーンやドラム缶の一部や、機械の歯車などを組み合わされて、精巧に作られています。ワルシャワ市内の他の場所でも、プラスチックのストロー(これもおそらく新品ではなく廃ストロー)を大量に使った作品も見ていたので、地球環境や資源の保護を作品の中に込めたものだと思います。環境保護の意識の高さも、いろんなところで感じました。

廃材でできた作品

廃材でできた作品

廃材でできた作品②

廃材でできた作品②

例えば、街のハンバーガーショップでも、出てくるコーラはビンのまま。紙コップやプラスチックのストロー、コップの蓋なんて、考えられないという感じです。でも、おいしい。

ポーランドの最後の食事 ハンバーガー

ポーランドの最後の食事 ハンバーガー

ポーランドからベルギー ブリュッセルまでは、3時間ほど。ドイツを飛び越えて行きます。

次の国、ベルギーへ

次の国、ベルギーへ

真っ黄色の飛行機

真っ黄色の飛行機

次からは、ベルギー編です。

この日は、首都ワルシャワを離れ、電車に乗ってクラクフへ。

ワルシャワ駅

ワルシャワ駅

電車の外の風景

電車の外の風景

世界の車窓から、みたい

世界の車窓から、みたい

そこからバスに乗り換え、アウシュビッツ強制収容所へ行きました。
アウシュビッツ強制収容所は、現在では博物館となっていて、第2次世界大戦の悲惨さを伝え、後世に二度と繰り返されることがないようにというメッセージを伝えています。

アウシュビッツ

アウシュビッツ

僕は、最初、興味深い施設だと思うのと同時に、アウシュビッツという暗い響きに恐れも感じていました。
また、僕らの視察の目的である、子どもの福祉と関連の薄い場所のように思いました。
しかし、ユダヤ人やナチスへ反乱するとされた人々と共に、その子どもたちも連れて来られ、ここで殺害をされたこと、そのような歴史の中で子どもたちの権利を守ろうという運動へと繋がったこと(その中にはコルチャックのような人々の犠牲があり、ポーランドから国連に提案された子どもの権利条約の草案があります)が分かりました。

当時、連れて来られた人たち

当時、連れて来られた人たち

この貨車に詰め込まれるようにして運ばれてきた

この貨車に詰め込まれるようにして運ばれてきた

貨車を降りると、すぐに選別され、働けないと判断されるとガス室へ送られた

貨車を降りると、すぐに選別され、働けないと判断されるとガス室へ送られた

ナチスドイツは、次の世代を担うものとしての子どもを嫌い、排除した

ナチスドイツは、次の世代を担うものとしての子どもを嫌い、排除した

現地のガイドの方の説明を聞きながら、今、自分が立っているこの場所で、これほど残酷なことが行われたことを、肌身にしみて感じました。

犠牲者の義足や義手

犠牲者の義足や義手

犠牲者の靴 山のように置かれていた

犠牲者の靴 山のように置かれていた

労働者の寝床 藁敷きの上に、重なるように寝かせられた

労働者の寝床 藁敷きの上に、重なるように寝かせられた

遺体の焼却炉

遺体の焼却炉

また、その一方で、犠牲者の人たちに無慈悲に対応したのも、同じ人間なのでした。
見学コースの途中、収容者の独房があり、その扉には看守が中をのぞくための小さな穴が付いています。僕はその小さな穴から独房をのぞいた時、まるで自分が看守であるかのような錯覚に襲われました。そして、非常時、この場所で看守の役割を与えられたなら、その役割をこなせてしまうかもしれない自分を認識しました。
収容された人たちに残虐な行為を行っていた、ナチスの兵士と自分自身との間に、それほど大きな差がないことが肌身に感じられ、愕然としました。

収容者のベッド

収容者のベッド

アウシュビッツの土 この土に犠牲者たちがしみ込んでいるように感じた

アウシュビッツの土 この土に犠牲者たちがしみ込んでいるように感じた

アウシュビッツを離れ、クラクフの街の散策へ。
クラクフはポーランドの旧首都で、日本でいうと京都のような位置づけです。
古い建物や町並みが残っていて、観光用の馬車が周遊しています。
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この日の報告、どうしてもアウシュビッツに熱が入ってしまいますが、それだけ強烈な体験であったと共に、一見学者として、「二度と同じようなことを繰り返してはならない」ということを、他の人に伝える役割を果たしたいという気持ちのためです。

この日は、ポーランドで一番視察先の多い日でした。

午前中、最初の訪問先、TPD(子どもの友協会)へ行きました。TPDはポーランドで最古の児童福祉のためのNPO組織であり、カトリックの思想の下、古くから養子縁組の担い手を務めてきました。近年、養子縁組については、次に訪れる養子縁組センターなどに業務を委任し、現在は子どもの放課後支援(学校が終わってからの保育・教育活動 休日や長期休暇も)を主に行っているそうです。

TPD講義風景

TPD講義風景

2つ目の視察先、カトリック養子縁組センターでは、ポーランドの里親事情を伺いました。ポーランドにおいても、少子化・晩婚化が進んでいるそうです。それに伴い、養子を希望する人も増えているそうです。こちらの養子縁組センターでは、養子をもらう前の夫婦に適正調査を行ない、養子を迎え入れる前の心構えや、トレーニング(受講証明書の発行)を行ない、養子縁組へつなげます。トレーニングは、赤ちゃんの発達や絢仕方、子どもに何らかの障がいがある場合の対応の仕方や子育てでバーンアウトしないための方法など、具体的で幅広い項目になっています。また、国内だけではなく、国外との養子縁組も行っているそうです。

健康な赤ちゃんとアルコール依存症の母親の下で生まれた赤ちゃんの違いについて説明する際に使う人形

健康な赤ちゃんとアルコール依存症の母親の下で生まれた赤ちゃんの違いについて説明する際に使う人形

飾られていた絵

飾られていた絵

午後は、3つ目の視察先、赤ちゃんポストへ行きました。日本では、コウノトリのゆりかごに似た施設です。ポーランド全土に67箇所あります。こちらもキリスト教系の施設で、赤ちゃんポストの設置以外にも、子どもの放課後支援を行なっています。これまでにこちらの場所での赤ちゃんの保護は2回あり、赤ちゃんが置かれた場合にはすぐに病院へ運べるようなシステムができているとのことでした。

建物遠景 右下が赤ちゃんポスト

建物遠景 右下が赤ちゃんポスト

赤ちゃんポスト

赤ちゃんポスト

講義風景

講義風景

赤ちゃんの寝床の真上に飾られた絵

赤ちゃんの寝床の真上に飾られた絵

最期の視察先、ナシュドム協会は、こちらもコルチャックに関連した施設です。
ナシュドムは、コルチャックが院長を務めていた2ヶ所目の孤児院です。現在も当時の建物を利用して、子どもたちが暮らす児童養護施設の機能を果たしているとのこと。現在は、14名のホームが2つ建物に入っており、それとは別に8名と10名が暮らす場所があります。対象年齢は7~18歳で、平均的な入所期間は3~7年だとのこと。
前に述べたように、ひとつの施設の定員が14名までと法律で定められたため、施設の空いた場所を利用してナシュドム協会が子どものための支援事業を行なっています。ナシュドム協会は、里親への教育や、社会的養護の子どもたちのための奨学金の運営、社会的養護の施設を退所した人たちへの支援を行なっています。

ナシュドム 建物

ナシュドム 建物

コルチャックの頃の写真資料

コルチャックの頃の写真資料

ワルシャワの街は石畳がきれいで、絵になる風景が多かったです。夜の帰り道でもこんな写真が撮れちゃいます。

夜、帰り道

夜、帰り道