いよいよ、研修本番。
現地では、通訳の松本さんにポーランドの児童福祉の現状をいろいろと教えてもらいました。
最初の視察先、コルチャック研究所です。
通訳の松本さん(左)と講師の2人
僕は事前にヤヌシュ・コルチャック関連の施設の担当に当たっていたので、がぜん力が入ります。
コルチャック先生
通訳の松本さんのすぐ隣に座らせてもらい、研究所の方が話されるのを一言一句聞き逃さないくらいの気持ちで聞きました。子どもたちが暮らしている施設の中は見せてもらえませんでしたが、ヤヌシュ・コルチャックが孤児院の院長をしていた時代に使われていた建物の中で、講義を聴くことができたのは貴重な経験だったと思います。
ヤヌシュ・コルチャックは、国連が作成した『子どもの権利条約』の基となったポーランド政府からの草案に大きな影響を与えた人です。彼は第2時世界大戦前後に、ポーランドにおいてユダヤ人の孤児院の院長を務めました。ナチスがポーランドに侵攻したのちには、子どもたちと共にユダヤ人居住区(ゲットー)に移動させられ、その後、トレブリンカ絶滅収容所へ送られ、子どもたちと共に最期を迎えました。アンジェイ・ワイダ監督によって映画化された『コルチャック先生』も有名です。
日本と同じく(むしろ、ポーランドの方が先な感じですが)、ポーランドにおいても児童養護施設は大舎制から小舎制になりつつあるようです。コルチャックのころには100人を超える子どもたちが暮らしていましたが、現在は施設の規模は14名までと法律で決められているようです。その分、小さな規模の施設が増えたり、里親がふえたりしているようでした。
お昼は、次の視察までの時間があまりないとのことで、バスでサンドイッチを食べました。
サンドイッチ
午後は子どものオンブズマン事務所に行き、オンブズマンその人からお話を聞きました。オンブズマンとは、「代弁者」という意味で、その方が子どもの意見を代弁をする代表をしています。オンブズマンは、事務所内の100名を超えるスタッフに指示をし、国内に子どもの権利侵害がないのかをチェックし、必要であれば意見を述べます。オンブズマンは、国が選任した方であるため、その権限も強いです。
ポーランドのオンブズマン
その後、ユダヤ人記念館を見学に行きました。ポーランドのユダヤ人の歴史がまとめられていました。この建物のデザイン、すごくないですか?
ユダヤ人記念館POLIN
これは、展示の前半、ユダヤ人の町の絵の中の一部です。この絵のタッチが、おそらくユダヤの伝統的な感じなのだと思うのですが、このポーズ、大阪にいる僕には、あの時の状況にしか見えません。
POLINの中の絵
世界で最初の「なんでやねん」?
展示の後半は、第2次世界大戦、ユダヤ人への迫害の記録が展示されており、心が揺さぶられました。
その後、旧市街を散策しました。ポーランドの町は第2次世界大戦でほとんどの建物が壊されてなくなりました。その後、残った建物の設計図を用いて、元通りの街並みを再建したのだそう。そういうエピソードにポーランドの人たちの気質が表れているように思いました。
ワルシャワの名前の由来になった人魚像 旧市街にて
夜になると、ホテルに帰って、ロビーでその日の視察先の復習と、翌日の視察先の予習をします。
ロビーでのまとめと翌日の予習